象と空

この先はいけない道の五月闇

 この先はいけない道の五月闇

世の中が動いている。
動いているときは
一緒に動くのか、
じっと様子をうかがうのか。

親と子と憲法集会かしわもち

親と子と憲法集会かしわもち

やっぱり今日は書いておかなくてはと
即興の句。
親から子へいまの憲法をつないでいく。
そんな気持ちである。

緑風憲法の日は落ち着かず

こんな句も。今年らしさで。

拙くても、テーマを持って書く。
それも重要と思っている。

朝かげの緑野を走る桃太郎

朝かげの緑野を走る桃太郎

若い緑の大地を眺めていたら
こんな句がひらめいた。
「桃太郎」は別の名前でもいい。

すーすーとガラス切る人青葉風 

すーすーとガラス切る人青葉風 

気持ちのいい日が続きそう。
俳句もわかりやすく、シンプルに。

少年は玉子かけごはん菜の花よ

 少年は玉子かけごはん菜の花よ

この季節になると
なぜか玉子かけごはんを食べたくなる。

父と子と玉子かけご飯菜の花よ

感傷の卵かけご飯菜の花と

出だしはこんなふうだった。
玉子かけごはんには家族的感傷が
存在するのかもしれない・・・。

菜の花と一緒にかえる昭和かな

菜の花と一緒にかえる昭和かな

旧作である。
クルマで走っていたら菜の花畑に出会った。
この句を思い出した。

なんとなく若い頃を想う。

風車いま空回り肩車

風車いま空回り肩車

この句、人気がありません。
作者としては「言葉遊び」として
そこそこ、と思っていますが・・。
「言葉遊び」はなかなかハードルが高いのですよね、正直。

もつれてももちつもたれつ春の影

もつれてももちつもたれつ春の影

春の影をじっと見ていると
こんな感じではないのかな・・・?

土筆踏むただ虫の息止めるため 

土筆踏むただ虫の息止めるため 

阿部完市の有名な
少年来る無心に充分に刺すために

この句をお手本にした句。

さらには「ただ」は
加藤郁也から学んだもの。
たとえば
枯木見ゆすべて不在として見ゆる

この「すべて」が気になっていて。

直接的にはあまり関係ないとしても
作者は「あの句のあそこ、真似してるよな」
という気分に襲われる。
まれにだが。

それが愚生にとってこの句なのだ。

口どけのいい声聞こえ草萌える 

口どけのいい声聞こえ草萌える 

草萌える季節が近い。
「口どけのいい声」とは?と
思うかもしれない。

で、はじめは

口どけのいい言葉溶け下萌える
これで某句会に投句した。

やがて
口どけのいい言葉聞く春の泥
とし、最終的に掲出のようになった。

しかし
口どけのいい声聞こゆ下萌ゆる

かもしれないと、いまだに迷っているのだ。