象と空

孤独な作者から

作者はいつも孤独。
だからといって、
読者を孤独に追い込んではいけない。
作品を読んで
読者が自由になる。
そんな作品を書くこと。

 夏の波パートカラーのシネマかな

神戸、塩屋の海で一句でした。

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固有名詞②

固有名詞はその名詞が持っている
イメージをつかわせてもらうところがポイント。
次の句は実際の「一休和尚」ではなく
アニメやマンガでの「とんちの一休さん」の
イメージを借りているつもりだが。

 柿若葉一休さんがポストマン

「ん」の韻は使いやすいね。

観念のままに

「北上」と「南下」に悩む。
どうして「北下」ではないのか。
なぜ「南上」ではいけないのか。
赤道が基準になっているのだろうか。
では、南半球の人たちはどう表現するのか。

こんな理屈をこねていてできた作品。
「元ミミズ」はいま何しているのだろうか?


 元ミミズ六月の国へ南下する

叙情詩

俳句は叙事詩?叙情詩?
叙情詩だと思っている。
感傷的とも思える叙情詩を書いた。

 ミズスマシ空を見上げて泣いたかも

「切れ」(1)

俳句表現でいちばん大事なもの、
それが「切れ」だと思っている。

俳句を成立させるものとして
五七五だの季語だの
言う人が多いが、
それはいわば要件で
表現の、中身の担保にはならない。
「切れ」の使い方が俳句を左右する。
しばしば「切れ」を語ってみたい。

 数々の憎まれ口よ躑躅病む

この句の「よ」が「切れ」。
ここで前半の表現がいったん終わる。
「躑躅病む」は前半とは異なる世界を
描いている。
「憎まれ口」を吐いたのか、受けたのか
この表現では判らないが
とにかく、そんな私には「躑躅が病んでいる」ように見えた。

こうやって解釈をしていくと
この作品の優劣に気付く。
あきらかに「劣」だ。
「切れ」の「よ」で2つの世界を
包み込むつもりだったのに
零れ落としているものが大きい。

というように、
ゆとりがあれば、
時々、「切れ」を語りたい。

今日を書く

俳句で時事を描くのは難しい。
で、今日の風俗を書いたりする。

 「夏日なう」ジルバにマンボボサノバも

こんな風で落ち着かない!!
もっと社会性をとも思うけれど。
難しい・・・。

楽しく

俳句は楽しい。
そんな思いの作品もつくりたい。
いつもいつも重いのは、よくない。

「楽しい」にはやはり素材。
これが見つかれば、楽しい俳句は
ほとんどできたも同然!?

 割り算に余り出てきてカタツムリ

固有名詞

固有名詞の入った作品を
以前はよく書いた。
地名はいいけれど、人名は難しい。
あんまり盛りだと詩にならないし
昔の人はイメージが広がらない。
中途半端がいいんだけど。

 肩を組むちあきなおみの雨の唄

真理のようなもの

 春の馬おしりの穴はひとつです

ある句会で投句したら
何気なく葬り去られた。
そんなものかもしれない!

でも、自信作。
真理というか
哲学のようなもの。

俳句ではないという人もいたが。

自由な俳句

 初夏の空そこがぬけた

これ以上もこれ以下もなく
ぎりぎりの
自由な俳句ができた。

もの知りは
「自由律俳句」というかもしれない。

でも、「自由な俳句」なのだ。

枕詞

 たらちねの母はこしあん柏餅

俳句は短いのでなかなか枕詞を
使いこなせない。

オーソドックスに使ってみたが。

思わぬ発見

イカナゴ

 玉筋魚や筋肉きれい筋トレを

玉筋魚(イカナゴ)の漢字と
玉筋魚のくぎ煮を見ていたら
筋肉ぽいなあと思ってしまった。
思いもよらない発見。

でも、最後の「を」が気になる。
説明的だよね。

ずっと迷っています。

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可愛さの裏に

金鳳花

黄色くて、可愛い金鳳花の花。
ところが毒性を持っているとか。
あのトリカブトも
キンポウゲ科の花。
それを聞いて一句できました。

 訪ねても歩いてもまだ金鳳花

身内

芸人さんが自虐ネタをするように
俳句でも、たまには自虐ネタ。

 我慢とは父のことなり松の花

家族のことを平気で俳句にする人がいるが
どうも好きになれない。
たまーに、この範囲で家族を
詠ってもいいですか??