象と空

非具象俳句

加藤郁乎が「非具象俳句」と唱えていた。
どんなものか、しばらくチャレンジしてみる。

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これはまだシュールの域・・?

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9月は不作

9月は20句あまりしか書けなかった。
発表できるものも少ない。

ここだけの話を祖母と窓の月

「を」が邪魔。
ひと工夫をしたいが、いま考え中。

もじり

相変わらずのもじり。
「本歌取り」みたいなもの。
もじりも堂々とした俳句作品。
この世界にはまりそう。

 横ヤリも縦ヤリもなく秋の暮れ

関連づくし

 四股よりも三顧の礼よ密柑山

なんと言ったらいいのだろうか?
「四股」と「三顧」、「四股」と「密柑山」。
関連づけで俳句にしてしまう。
こんなのもありかな・・・!

掛詞&リフレイン

 なす恋やなさぬ恋にもなすのかげ

わかりやすい表記にすると

 成す恋や成さぬ恋にも為すの陰

「為すの陰」は「茄子の影」との掛詞でもあり、
季語の役割も果たしている。

俳句は「言葉遊び」と言い続けている。
その例みたいな作品を書いてみた。

「言葉遊び」と言えどもどこか節制が必要。
「なす」「なさぬ」という頭韻や繰り返しが
リズムをつくり、詩性を生む。
こういう作品は文語体の方が向いているかもしれないと
初めての試みに反省も。
今後の糧になればと思っている。


「切れ」への思い

 喉元を過ぎれば浮き世秋刀魚焼

お久しぶりの更新になる。
で、いきなり、俳句の方法について。
長い休みの間に少し賢くなったのである・・・。

俳句は「切れ」であるとますます強く思うようになった。
五七五とか季語とか俳句の形式について否定する気はない。
しかしそれらは型についてのことで、
中身を左右するのは「切れ」なのだ。

「切れ」がある作品、ない作品。
「切れ」の強い作品、弱い作品。
もちろん、いろいろあるのだけれど
俳句を読むという時に
中身を語るのは「切れ」によるものと考える。

俳句は専門家あるいはベテランの人もふくめ
俳句を創る視点で語られる。
その場合、型式についてかなり厳しいチェックがある。
五七五がどうであるとか
季語がどうだとか・・・。

文芸という視点で語るなら
書かれた作品についての評価は
中身で行うのが自然であろう。

人の喜怒哀楽をはじめ、人間と自然との共存
自然の謳歌・・・それらをもっと私たちは
考えなければならないのではなかろうか。

そのとき「切れ」を強く意識して欲しい。
「二物衝撃」とか「一行立て」とか「取り合わせ」とか
意識して読む。

俳句は多義というかイメージが多く創出されるものが
いい作品である。
ひとつの固定した世界しか想像できない作品は
評価できない作品である。
もちろん、そのことを意識して
作品を書くわけだが
そのとき「切れ」を設定するかどうかは別にして
それを忘れないで欲しい。

こんなことを思った9月の始まりでした。