象と空

タイムスリップの意図だけれど

5月も今日で終わり。
ワタシの作句は1日2句ペースで
数としては満足。
途中、摂津幸彦、仁平勝、安井浩司などの評論を
読んで、内容的にぐらついた感はある・・・。
評論を読むと作品ができないという
デメリットも・・・。

そういう月間感想は別にタイムスリップを意識して
次のような句をつくった。

 アサガオを蒔いて昨日へ遡る

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頭韻

陽射しが夏向きになると
影が濃くなります。
汗をふきながら片陰を歩く。
ほっこりとした図です。

頭韻も踏んでつくってみました。
危険性の低い句になりました。

 片陰よ教師二人が肩並べ

ことわざや人生訓

人生訓などを後生大事に抱えている人に
反発を覚えることがある。
その気持ちを句にしたい。
ひとつの表現方法と思う。

 父帰る能ある鷹に蚕豆を

閑古鳥

先週の土曜日、ゴルフに出かけた。
カッコウの鳴き声をうるさく聞いた。

 カッコウと耳許で鳴く閑古鳥

カッコウは「郭公」と書くけれど
「閑古鳥」とも書くというのを初めて知った。

五月らしく

 手を上げて腰を回して五月晴れ

気持ちのいい五月の作品をつくりたくて。
こんなもん、できました。

蓮若葉?

家の近くの蓮池。
そろそろ小さな葉っぱが浮かんでいます。
7月頃には池全体が青はで覆われ
蓮の花が咲き乱れて・・・。

ところで「蓮若葉」ってありますかね?
言葉ではなく、蓮には若葉らしい佇まいは
あるのでしょうか?

 蓮若葉浮かんでは消え水鳥は

駄洒落でしょうか?


 五月雨や困った困ったねーこの手

この句、大真面目なのだ。
ただ、「ねーこの手」は
最初は「猫の手」だったんだけれど・・。

偶然生まれた、駄洒落みたいな作品なのだ。

具象化

 若葉から夢のしっぽが見え隠れ

この句、最初は
 春昼や夢のしっぽが見え隠れ

かなり迷って、冒頭のように改稿した。
具象化したために、深みはなくなった。
判りやすくはなったが。

でも、「春昼」だけが頼りの
句も捨てがたい。

こうやって悩むのだ。

句会には最初の句を出すだろう。
作品集には後の句かも。

後の句に未練たっぷりなのだ。

理を超えられない

理屈でつくっていいのだけれど
理屈を超えて
詩性を注入しないと・・・。

いま中途半端な作品がここにあります。

 不毛なる春眠のようテロリスト

なんとなく懐かしい

端午の節句。
そんな風に呼ぶ人も少なくなった・・・。
そして菖蒲湯。
子どもの頃の菖蒲の湯が
なんとなく懐かしい。

とんでもなく関係ないが
ワタシが住んでいた地域は
「菖蒲池」と呼ばれていた。
確かに池があった。
いまは町名も変更されて。
でも、郵便物はその名で届く。

 菖蒲湯よ天女と出くわす角隠す

 菖蒲池風呂の匂いのする町の

松山吟行の旅⑤

松山吟行の句は<子規の書斎>でおしまいに。

子規の書斎


 春の塵子規の机の薄明かり

明るい春の陽射しは障子を通して
柔らかな緑の光りに変わっています。

松山吟行の旅④

松山行から二週間、5月になって、
ようやく冷静に吟行の句が
作れるようになった。

 子規の雲漱石の雲夏の雲

 紋付きの子規が食ってる柏餅

松山吟行の旅③

松山で気になったのは
もちろん子規や漱石もそうなんだけれど
やっぱり山頭火。
不思議に山頭火はずっと気になっている。

 春のはずれカレー食ったか山頭火

山頭火はカレーなんか食べなかっただろうね。